三田

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静子さんの写真を見て笑顔を見せる新延信子さん=三田市
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静子さんの写真を見て笑顔を見せる新延信子さん=三田市

 阪神・淡路大震災から17日で25年となり、兵庫県三田市内でも多くの人が在りし日をしのんだ。同県西宮市で2階建ての自宅が全壊して母親を亡くした新延信子さん(81)=三田市=もその一人。震災直後は自分だけが助かったことを責めたが、時がたち、少しずつ考え方が変わった。「母も私の笑ってる顔を見られた方がうれしいよね」。家族や友人と会話を楽しんだ何げない時間…。供養を願い、幸せな暮らしを報告する。(山脇未菜美)

 信子さんは3人の子どもを育てあげ、あの日は母の静子さん=当時(72)=と1階でふすまを挟んで寝ていた。揺れに気付いてふすまに手を掛けようとしたら、下から突き上げるようなごう音がし、次の瞬間に目の前は真っ暗。静子さんのうめき声だけが耳に残った。

 2階部分が崩れ落ちていた。近くに住んでいた次女の真紀子さん夫妻が近所の人たちとがれきを持ち上げ、信子さんは約2時間後に救出された。静子さんは、はりの下敷きになり即死だった。

 大阪の旧家出身で、しつけに厳しかった静子さん。幼くして父親を亡くした信子さんを女手ひとつで育てた。戸の開け閉めに大きな音をたてるだけで娘をきつく叱り、孫ができても厳しかった。真紀子さんが中高でソフトボールに打ち込んでいると「日焼けをするからやめなさい。骨まで黒くなる」と猛反対。信子さんは「昔ながらの女性像があったんでしょう。言葉はむちゃくちゃだけど、心配の裏返しなのはみんな分かっていた」と懐かしむ。

 震災の1週間前、信子さんは母と寝床を入れ替えていた。足腰が弱くてトイレに行きやすいように-との配慮だったが、地震後はそれが生死を分けたような気がして自分を責めた。

 ただ、当時は手芸用品販売店で接客をしていて、いつまでもめそめそしていられないと思った。大勢の客と会話できる環境にも救われた。いつしか親戚と静子さんの“怒られ自慢”で笑い合うことが気持ちの整理につながっていった。

 7年ほど前には真紀子さんが暮らす三田に引っ越した。縁もゆかりもなかったが、持ち前の明るさで友人もでき、孫5人にも恵まれた。日課は、居間に飾る母と夫の遺影に何気ない日常をおしゃべりすることだ。「隣の人とお料理を交換したの」「孫が今年大学受験なの。応援してね」-。写真だけがぽつんと置いてあるのはさみしいと、着物姿で笑顔を見せる静子さんに話し掛ける。

 17日前後には毎年、家族で西宮市の震災記念碑公園に足を運び、今年は18日に訪れる。「たくさんの家族に囲まれて笑顔で過ごしているのを知ってもらえたら、厳しい母でも喜んでくれるよね」

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