三木

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米国の展示会でアピールする三木の職人=2016年、米国・コロンバス(三木工業協同組合提供)
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米国の展示会でアピールする三木の職人=2016年、米国・コロンバス(三木工業協同組合提供)
晩年の7代目黒田清右衛門=三木市本町2、黒田清右衛門商店
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晩年の7代目黒田清右衛門=三木市本町2、黒田清右衛門商店

 米国の展示会場には人だかりができ、熱気に包まれていた。中心にいるのは三木(兵庫県)の職人。鉋(かんな)で木材を鮮やかに削り、耐摩耗性をアピールすると、バイヤーから矢継ぎ早に質問が飛んだ。

 近年、国内需要の落ち込みや後継者不足にあえぐ三木の金物業界は海外に活路を見いだす。2016年度から5年間、メーカーが中心となって海外販路を拡大する事業を展開。米国や台湾の展示会に出品し、メード・イン・ジャパンの技術力を見せつける。

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 三木の金物にもグローバル化が進む現代。だが、第2次世界大戦中は、経済統制で事業継続が困難になった。これを打開しようと立ち上がったのは、産業興隆期から続く金物問屋、黒田清右衛門商店の7代目だ。

 町長や県議も務め、同業組合の設立や金物試験場の整備などに尽力。1943年には、全国組織「日本利器工匠具統制協会」を設立し、国策に応じた製造、販売方法を模索した。

 10代目の黒田泰義(51)は「自分の店だけでなく、業界全体をよくしたいという意識があった」と語る。その信念は屋号紋の「ヤマサン」が裏打ちしているといい、漢数字の「三」の横棒が信頼、堅実、誠実を表現。「現在まで、大切に受け継がれている」という。

 戦争で次代を担う職人も命を落とした。三木章刃物本舗(三木市別所町東這田)の伝統工芸士、長池廣行(80)は幼い頃、兄を戦争で亡くし、姉が研磨作業を手伝って家業を守った。長池は「先人が技術をつないでくれたおかげで、今の工場がある」と振り返る。

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 痛みを伴って受け継がれた金物産業。市の補助を受けた事業もあり、今では小規模事業所も積極的に海外に乗りだす。

 三木市福井の鉋製造業「常三郎」は、売り上げに占める海外輸出の割合が約35%と10年前の約7倍に。冬にはベトナムでの展示会も控え、社長の魚住徹(60)は「現状に満足してはいけない。次の策を講じ続ける必要がある」と意気込む。開拓者精神は、鍛冶屋のDNAに刻まれている。=敬称略=

(大橋凜太郎)

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