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一柳末徳の手紙を前に、現代文に直した翻刻集を手にする石野茂三館長=小野市立好古館
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一柳末徳の手紙を前に、現代文に直した翻刻集を手にする石野茂三館長=小野市立好古館

 小野藩最後の藩主一柳末徳(1850~1922年)が明治維新後、旧家臣の伊藤欣平と交わした手紙92通と関連文書16通を、兵庫県小野市立好古館(西本町)の石野茂三館長(69)=加西市=が、現代文に直して90ページの冊子にまとめた。末徳は「暴力的で、酒に溺れ、浪費家」とのイメージが定着しているが、手紙からは借金に苦しむ一柳家を守ろうと金策に奔走した姿や子どもたちへの深い愛情がうかがえるという。

 同館は昨年2月、末徳の三女で米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズと結婚した満喜子(1884~1969年)の没後50年を記念した企画展を開催。これを機に、石野館長は末徳と伊藤欣平がやりとりした92通をはじめ、末徳の長男譲二が欣平に送った手紙など16通を現代文に改める「翻刻」の作業に取り組み半年掛けて完成させた。

 これによって、明治維新後の末徳の状況が明らかになった。末徳は小野から東京に移住して慶応義塾に学び、欧米の自由な精神を取り入れ、家風を再構築。一方、東京で明治華族、貴族院議員として活躍したが、交際費がかさみ、旧家臣や親族に貸し付けた起業資金も焦げ付いて、一家は存亡の危機にひんした。

 小野にいた伊藤欣平との手紙は、金策依頼と近況報告が大部分を占める。旧家臣の進言を聞き入れ、仕事がなかった長男譲二を働かせたほか、三女満喜子を華族の子女が通う学習院ではなく、交際費が少なくて済む東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)に進学させた。3男4女の教育にも力を入れ、長男譲二、長女千嘉子、三女満喜子を米国留学させるなど国際人に育て上げた。

 石野館長は「末徳が書いた92通のうち34通は子どもについて書かれており、子どもたちの将来のため金策に奔走した父親の姿が垣間見える」と話す。発行した30部のうち4部が同館で閲覧できる。同館TEL0794・63・3390

(笠原次郎)

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