姫路

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「私もそうですが、米朝も晴れ男でした」。雲一つない青空の下、姫路城への思いを語る桂米團治さん=姫路市本町
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「私もそうですが、米朝も晴れ男でした」。雲一つない青空の下、姫路城への思いを語る桂米團治さん=姫路市本町
桂米團治さんと晩年の米朝さん(米朝事務所提供)
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桂米團治さんと晩年の米朝さん(米朝事務所提供)
文化勲章受章記念の写真展会場で。(左から)桂米團治さん、米朝さん、米左さん(2010年1月、姫路文学館、姫路市提供)
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文化勲章受章記念の写真展会場で。(左から)桂米團治さん、米朝さん、米左さん(2010年1月、姫路文学館、姫路市提供)

 兵庫県姫路市生まれの人間国宝、故桂米朝さんが父であり、師匠である五代目桂米團治さん。幼い頃からたびたび姫路を訪れ、米朝さんが51年前に始めた姫路での独演会を親子会、自身の独演会と受け継ぐ。そんな親しみある地にそびえ立つ姫路城は、米團治さんの目にどう映ってきたのだろうか。

 姫路では「国宝が2つある」と言われます。一つは姫路城、もう一つは桂米朝だと。そんな意識があるからか、姫路で落語を披露する時は優しい表情で聞いてくださるお客さんばかり。演目には米朝の得意ネタを選ぶことも多いです。

 米朝は姫路市(大善町)にある九所御霊天神社のせがれです。お墓参りもあって、私も幼い頃から姫路には再々通っていました。父に入門し、噺家になってからは少なくとも年2回。お正月に米朝独演会、夏に一門での姫路落語会が必ずありますから。地元銘菓や地酒の差し入れも随分いただきました。その中に「火打焼」という菓子がありまして、実は米朝も私も大好きでひそかな楽しみでした。

 姫路城にまつわる落語にお菊さんが登場する「皿屋敷」がある。幽霊が出ると評判になり、大勢の見物客でにぎわうお菊井戸。気をよくしたお菊さんはいつもの2倍の数の皿を数えてしまう。そして、理由を聞かれるとこう返す。「明日の晩、休みまんねや」-。

 落語の世界ではお菊さんでさえコミカルです。初めて姫路城で「お菊井戸」を見た時は「(落語の基になった物語のお菊は)こんなに深い所に沈められたのか…」と複雑でしたけど。芸人は人の死さえも笑いに変える。米朝も「生きてること、死んでることに大して変わりはない」という考え方。兄弟子の桂米之助さんの訃報をホテルのバーで聞いた時も「え、えっちゃん(米之助さんの愛称)死んだか!」と嘆いたかと思うと、すかさず「サイコロステーキ一つ」と。そんな死生観を持っていました。

 米朝さんは俳人としても知られた。姫路城の北西にある旧制姫路中学(現姫路西高)に在学中、城の美を詠んだこともある。

 〈青を沈めて 晩春濠の重さかな〉

 子どもの頃、米朝と一緒にお城に登ったかどうか記憶はあいまいで。私が初めて登ったのは小学校低学年の時。姫路に住んでいた叔父が駅からタクシーで連れて行ってくれました。中学時代、遠足でも行きました。父が姫路出身ということで友達に通ぶって知識を教えたり。当時、二眼レフで撮った写真は今もアルバムに残っています。一番素晴らしいのは大天守最上階からの眺望。「栄えたまえよ」と時の藩主の気持ちに浸れます。横から眺めた時の違いもいい。市立美術館裏の城の真東も穴場です。何より昔の形のまま残っていることにほれますね。

 米朝さんは2015年3月19日、89歳で死去した。姫路城が「平成の大修理」を終えてグランドオープンする8日前だった。姫路市の名古山霊苑に米朝さんの名誉市民墓があり、米團治さんも何度も訪れている。

 大修理で真っ白になったお城はまさしく白鷺。晩年に一度、車いすの米朝とお城に登りました。大修理の真っ最中。屋根瓦を敷く前に板を何枚も並べているのを見て「これはすごい、手間やなあ」と話して。最後の思い出になりました。

 真っ白の姫路城を米朝にも一目見せたかったですが、独演会で枕のネタに使わさせていただきました。「姫路城の修復はかないましたが、米朝の修復はかないませんでした」と。(地道優樹)

=終わり=

【かつら・よねだんじ】1958年、大阪市生まれ、尼崎市育ち。関西学院大在学中に父の桂米朝に入門、小米朝を名乗る。絵画を描いたり、古代史を研究したりと多趣味。クラシック音楽への造詣も深く、上方落語とオペラを融合させた「おぺらくご」を確立。2008年10月、五代目桂米團治を襲名。

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