社説

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 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からあすで9年を迎える。道路や堤防などインフラの復興は進むが、肝心の「人」が戻らない。少子高齢化と都市部への集中が進む中でコミュニティー再生に苦闘する被災地の姿は、縮小する社会の将来を映しだす。わが事ととらえ、何ができるかを考える必要がある。

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 被害が大きかった岩手、宮城、福島3県で災害公営住宅(復興住宅)は9割が整備され、鉄道は14日のJR常磐線全線再開で復旧が完了する。被災地内外をつなぐ復興道路は整備率が7割を超えた。

 一方、被災市町村の9割で人口は震災前から減ったままだ。プレハブの仮設住宅に約700人が暮らし、約4万7千人が全国各地で避難生活を続ける。復興住宅では近所付き合いが減り孤立感を深める人が増えた。安全なまちを目指した土地区画整理事業や高台への集団移転で造成された宅地には空き地が目立つ。

 阪神・淡路大震災では5年で仮設住宅が解消された。それと比べれば、東日本の復興の歩みは緩やかに見える。一方で、震災から25年を経た阪神・淡路の被災地も、コミュニティーの「崩壊」が指摘されてきた。区画整理事業を進めたエリアでは元に戻れない住民も多く、地域の姿は大きく変わった。

 東日本の現状は、経験と教訓を伝える難しさを突き付けている。

 震災関連死は全国で3739人(昨年9月時点)に上る。原発事故の避難指示が続く福島県が約6割と過酷さを物語る。もはや人災ではないのか。

 政府の「復興・創生期間」の期限は2020年度末に迫る。この9年で総額約31兆円の復興関連予算が注ぎ込まれた。だが各種調査で生活再建を実感できないと訴える人が多く、国や自治体が進める復興と被災者の思いにはずれがある。

帰還なき避難解除

 生活再建を巡る格差は広がる一方だ。特に深刻なのは、原発事故の影響で住民が戻れない「帰還困難区域」を抱える福島県沿岸部である。

 15年に避難指示が解除された楢葉町では人口が震災前の約5割まで回復し、新たな生活拠点ににぎわいが戻りつつある。

 一方で、第1原発が立地し、96%が帰還困難区域に指定された双葉町は、今月4日、ようやく一部の避難指示が解除された。ただ人が住めるのは2年後になる。昨秋の町の意向調査で、町に「戻らないと決めた」と答えた世帯は63・8%に上り、「戻る」は10・5%だった。

 町は、まず働く場をと帰還困難区域外の町北東部で産業団地を造成した。「復興拠点」として除染や家屋解体を進めたJR双葉駅の西側では新たな宅地造成を計画する。

 しかし復興拠点を外れた区域は除染時期すら明確でない。水田の風景は、除染で出た汚染土や放射性廃棄物を一時保管する広大な中間貯蔵施設に姿を変えつつある。

 全町避難から9年。誰も経験したことのない険しい道が今なお続く。

 先に避難解除された市町村でも、時間とともに住民の帰還率は伸び悩む。特に子育て世代は少ない。

 放射能への不安や根強い風評被害が見えない壁だ。原発処理水の放出方針、除染の見通しはなりわいである漁業の復活や生活再建に大きく影響する。政府は科学的根拠を示し、オープンな議論を重ねて国民の理解を得る努力を怠ってはならない。

挑戦の地への転換

 避難先で生活基盤ができ、帰還を諦める人はこれからも増えるだろう。たとえ離れても、古里と関わり続ける人たちの存在を復興の支えとする方策を模索する必要がある。

 04年の新潟県中越地震で全村避難を決断した山古志村(現長岡市)の支援に携わった中越防災安全推進機構の稲垣文彦統括本部長は「地元で頑張る人の姿が、戻れない人にも復興の実感をもたらす」と指摘する。

 地域が直面する課題は何か。復興の先にどんな将来像を描いているか。地域外からも参加できる活動はあるか。被災市町村はあらゆる手段で元の住民に発信し続けてほしい。

 移住者を積極的に受け入れ、新しい発想を生かす仕組みも重要だ。

 限られた人材で逆境に立ち向かうには、一人が多くの役割を担わねばならない。見方を変えれば、誰でも活躍の場がある社会と言える。

 ほかではできないことに「挑戦できる地」と発想を転換し、創業支援や規制緩和など大胆な施策で新たな担い手を育てる。被災地の外からも、多様な試みを応援し続けたい。

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