社説

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 家族や友人、知人などの関係を超えて、誰もが「いつまでもお元気でいてほしい」と願う、特別な人がいる。きのう84歳で亡くなった野村克也さんはそんな存在だった。

 野球選手としての実績は傑出している。通算で本塁打657、打点1988。日本プロ野球でその上を行く打者は王貞治さんだけだ。捕手で三冠王に輝いたのは世界のプロ野球で野村さんが初めてとされる。

 選手兼監督も務めた南海ホークスでの全盛期を知る世代はもう少ないが、その域に達する後進はいまだほとんどいない。「レジェンド」と呼ぶにふさわしい大選手である。

 監督としても、ヤクルトを4度のリーグ優勝と3度の日本一に導くなど、多くの実績を残した。データ重視の「ID野球」は、野球のあり方を変えたと言っていいだろう。

 テレビの解説でも、理詰めの分析で野球関係者やファンをうならせた。「次の投手の配球は」「ここで取るべき戦術は」。その答えを、ゆっくりとユーモラスに。時には選手や監督のミスをちくりと辛口で。

 独特の「ぼやき」をもう聞けないかと思うと、悲しく、残念でならない。ご本人ももっとぼやきたかったのではないか。現役の選手や指導者も、教えを請いたいことはまだ山ほどあったに違いない。

 愛妻家として知られ、3年前に妻の沙知代さんを突然亡くした悲しみは深かったようだ。近年は体調の衰えを感じさせることもあった。

 先月開かれた400勝投手・金田正一さんのお別れの会に姿を見せたが、きのう自宅で倒れているのを発見された。死因はくしくも沙知代さんと同じ虚血性心不全だった。

 巨人で活躍した王さんや長嶋茂雄さんとは同世代だ。「ON」をヒマワリに例え、その陰に隠れた自身を「ひっそりと日本海に咲く月見草」と表現した。

 テスト生として入団し、ロッテ、西武と渡り歩いた。監督業でも、阪神では3年連続最下位で終わるなど、起伏の多い人生でもあった。

 経験で磨かれたのか、「月見草」の他にも印象に残る言葉がある。

 「負けに不思議の負けなし」は、敗戦の裏にある準備不足や判断ミスを指摘した言葉だ。「強い者が常に勝つとは限らない」と弱者に創意工夫と奮起を促した。

 「生涯一捕手」として「声がかかるうちはやる」「ボロボロになるまでやる」。それが人生観だった。体が弱ってもテレビに出演して精いっぱい言葉を紡ぎだしていた。

 「もうそのへんにしたら」と沙知代さんが呼んだのかもしれない。月見草は数々の珠玉の言葉を残し、ひっそりと人生の幕を閉じた。