社説

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 阪神・淡路大震災の被災地はきのう、25年の節目をへて、26年目の歩みを始めた。追悼行事では、未明から多くの人たちが鎮魂の祈りをささげた。四半世紀という時間の流れにより深い感慨を覚える。

 被災地は淡路島から川西まで12市にまたがる。その中で「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸・三宮の東遊園地は象徴的な存在だ。

 地下の「瞑想(めいそう)空間」には5016人の名前が刻まれた銘板が掲げられている。当初は神戸市民と市内で亡くなった人に限られていたが、今では遺族が希望すれば全ての犠牲者の名前を受け入れている。

 追悼のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」は、東日本大震災や西日本豪雨、台湾中部大地震など国内外の被災地に分灯され、絆を強めてきた。

 災害の苦難を忘れず、教訓を次代に伝えるためにも、開かれた追悼の場として発展させていきたい。

 昨年末、家屋が全壊して亡くなった芦屋の男性の名前が、遺族の手で銘板に取り付けられた。遺族はきのう初めて地震が発生した午前5時46分に東遊園地で黙とうし、銘板の前で改めて手を合わせた。

 しかし、最近まで市外からの受け入れを知らなかった犠牲者の家族もいる。思いを広く受け止める施設とするには、モニュメントを広く知ってもらう必要がある。

 交通の便が良く、年末には「神戸ルミナリエ」の会場にもなる。被災地全体の公共財として、他の自治体や市民団体などが運営に参画する形を模索すべき時期ではないか。

 一方で自治体や地域ごとの追悼の場も大事にしなければならない。被災の状況は異なり、それぞれの記憶を継承する努力が、大災害の実像を伝えることになるからだ。

 さすがに25年もたてば、高齢化や住民の入れ替わりなどで継続が困難になり、岐路に立つ行事もある。だが小さな慰霊碑でも、保存されればいつか誰かの心を動かすだろう。

 亡くなった子どもを追悼する小さな地蔵の前で、事情を知らない幼児が手を合わせる姿を見たことがある。幼児はいずれ大人から地蔵の由来を知ることになるはずだ。

 被災地に点在する震災モニュメントのマップ作成など、「記憶の種」を守る取り組みが重要さを増す。災害を学ぶ教材として、地元の慰霊碑に学校などで光を当ててほしい。

 ただこの時期、心の傷がよみがえってつらい思いをする人もいる。トラウマ(心的外傷)に苦しむ人が取り残される懸念を、神戸の精神科医中井久夫さんはいち早く指摘してきた。25年は節目である。回復に向かう道のりの途上であることも、併せて心に刻みたい。

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