社説

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 令和最初のお正月を迎えました。

 元号「令和」の字義の通り「うるわしく、なごやかに」と新春の空に願う。誰もが同じ心境でしょう。

 くしくも今年は阪神・淡路大震災から25年になります。四半世紀を振り返る、大きな節目の年です。

 つらい運命に歯を食いしばり、涙したこともある。それでも人との絆など、大切なものも見つけた。

 今年は戦後75年でもありますが、焦土からの復興も、同じような苦楽の道のりだったろうと思います。

 さて、私たちはこれからどんな道を歩むのでしょう。直面するのは少子高齢化や地球環境問題といった、過去にない難題ばかりです。

 先の見えない時代、現代を離れ、過去に戻って少し時間の旅をしてみたいと思います。未来を描くヒントが見えてくるかもしれません。

       ◇

 100年と言えばほぼ3世代。記憶の継承を研究する学者によれば、災害などの重大な体験や教訓の伝承がさすがに難しくなるそうです。

 とはいえ過去は現在につながっている。先人の営みの中には、私たちが忘れている何かがあるはず。

100年前に戻って

 一気に1920(大正9)年に時を戻しましょう。阪神急行電鉄(現阪急電鉄)が大阪・十三-神戸・上筒井間で営業を始めた年です。

 その年、今の中央区中山手通に日本初の海洋気象台が誕生しました。後の「神戸海洋気象台」です。

 今は神戸地方気象台として一般的な気象台の一つになりましたが、かつては沖の船に海の気象情報を伝える特別な役割を担いました。

 注目したいのはその立地です。震災後に海岸部に移転するまでは、港を一望できる市街地の高台にありました。船からも気象台が掲げる気象情報の旗が見えたそうです。

 高台の下は固い岩盤。25年前の震災では庁舎の一部が倒壊しながら、機能を何とか維持できました。

 市街地に隆起した場所に着目した結果が、図らずも直下型の揺れをしのぐ選択になったと言えます。

 私たちは今の視点で過去を再発見できます。古い海洋気象台の建物は取り壊されましたが、地形が教える意味を忘れず、災害に強いまちづくりに生かさねばなりません。

 一方で、人間は未来予測が好きな生き物。同じ100年前、「日本及(および)日本人」という雑誌が「百年後の日本」という特集を組みました。学者や政治家、文学者ら300人以上が未来像をあれこれ論じたのです。

 ある人は言いました。「日本は世界の強国の仲間入りをし、東洋の盟主となるだろう」。別の人は言いました。「軍閥が国論を無視して侵略主義に走れば、日米戦争を招く。負ければ日本は小国になりさがる」

 「百年後」を生きている私たちは歴史の「答え」を知っています。

混在する悲観と楽観

 面白いのは、神戸の社会活動家、賀川豊彦が女性参政権の実現と女性の活躍を確信していたことです。

 当時は大正デモクラシーが花開き、都市化が進みました。これからの時代は随分違うものになるとの予感があったと、慶応大の田所昌幸教授は分析しています(雑誌「アステイオン」91号、特集「可能性としての未来-100年後の日本」)。

 今はどうでしょう。「改革」が叫ばれながら前に進まない。行き詰まりが指摘されても良い手だてが見いだせない。経済発展を遂げたものの、楽観と悲観が入り交じった閉塞(へいそく)感が漂っている気がします。

 しかし私たちは先人が残した「宿題」に全て答えたわけではありません。ある科学者は100年前に「太陽光など自然エネルギーの活用が重要」と先見の明を示しました。でも取り組みは緒についたばかり。原発事故などに直面するまでなおざりにしてきたのではないでしょうか。

 英国の歴史家E・H・カーは述べています。「過去は現在の光に照らしてはじめて理解でき、過去の光に照らせば現在がよく理解できる」。視界不良の時代、過去との対話がこれまでになく重みを増しています。

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